管理人の自己紹介

○ライフスタイル

森の人の経歴

森の人のプロフィールこのサイトの管理人「森の人」の自己紹介です。
社会に迷惑をかけない範囲(多分)で自由に生きて来たつもりです。
おかげで、いろんなライフスタイルを経験する事が出来ました。

自立以前

中学生の時に山登りにめざめ、高校生の時にアルピニストとして生きていくことを決めた。
このため、「将来は就職して仕事をする」という概念を持てずに大人になってしまった。

高校卒業後、進学という名目で東京に上京して、世界のトップクライマーを目指すという目標に突き進んだ。

後から考えると、無謀あるいは身の程知らずな夢だったが、若い時に型にはまらない生き方を経験できた事が、その後も自由な発想で人生を送ることが出来た最大の要因だと思っている。

クライマーの時代

ロッククライミングをするために定職に就かずバイトをしては山に行くという生活だった。
バイトは、当時ロッククライミングをやっていた奴らの定番、ビルの窓拭きだ。
休みが自由に取れ拘束時間も短いわりに給料は良かった。
何より高いところが好きな奴がビルの壁にぶら下がってお金をもらえるのは最高だった。

一応夜間の大学に籍は置いてはいたが、せいぜい学食に夕ご飯を食べに行く位で授業にはほとんど出席しなかった。

当時日本で一番過激な山岳会に所属してクライミングでそれなりの実力は身につけたが、今考えると世界のトップに追い付くには才能も心構えも不足していたと思う。

それでも唯一ネパールヒマラヤ アマダブラム峰の西壁を世界初登攀出来たのは、自分の中の記念碑と思っている。

ビジネスマンの時代

ヒマラヤ遠征から帰国後、一緒に行った先輩に仕事を手伝えと言われて登山用品の輸入の仕事を手伝い、そのままその会社に入社した。

先輩を含めて社員は3人のスタートしたばかりの会社だが、一年間働いたら海外登山のための1ヶ月の有給休暇がもらえるという、今の時代でも考えられない程自由で先進的な会社だった。

実際、最初の5年間で5ヶ月間の海外クライミングトリップに出かけた。
その後は、クライミングのモチベションが低下してきたのと、仕事が面白くて集中した事でこの休暇を利用はしなかった。

輸入会社という事で海外出張も多く外国人と数多くふれあう事が出来た。
ビジネス・プライベートの両面でインターナショナルな感覚が身についた事で型にはまらない柔軟な考え方が出来るようになったと思っている。

またこの時代にコンピューターに出会いのめり込んだ。
来るべきネットワーク社会への準備という名目でその実半分は自分の趣味的では有ったが社内LANやグループウェアーとナレッジデータベースの構築行った。
このITシステム構築の経験でコンピューターのスキルが向上した事が、結果的にその後の人生の大きな助けになった。

11年間の在籍期間にこの会社はぐんぐん成長し、相対的に僕の社内での立場や待遇もどんどん向上していった。

社内でのトラブル不満も無いのに、ただ北海道の自然の中でセルフビルドで家を建てたいという理由だけで世間的に大成功しているこの会社を辞めてしまえた事は自分でもある意味すごい決断だと思っている。

開拓生活時代

北海道の自然の中で快適な住環境を構築して生活したいという目標が出来た時僕が取った行動は、両立出来ないならそれまでの生活を捨てるという決断だった。

僕の収入はゼロ、知り合いもコネもゼロの見知らぬ土地で生活を始める事に何の不安も無かった。
3年から5年は仕事をせずに家を建てたり住環境を整備する事に集中するつもりだった。

世間の常識で言えば一番の働き盛りの時期に好きな事だけやって暮らす以上に贅沢な事があるだろうか。
仕事なんぞは人生の最高の夏休みを満喫した後でまた始めれば良いさと思っていた。

結論から言うとこの開拓生活時代ほど楽しい時期は無かった。
楽しすぎて開拓生活が一段落してそろそろ仕事を始めなきゃと思いつつも期間は一年また一年と延び、気がつくと8年が過ぎていた。

起業の時代

そうやって次のステップに進む事を先延ばしにしていたある日、北海道に住んでいる山岳会の先輩から電話が有った。
「おい、一緒に海外の登山に行かないか!」
突然の話だったが詳しく話を聞いているうちに、かつてのクライマーの血が騒ぎ出した。
久しぶりにあの厳しい山登りの世界でキリキリするような緊張感を味わってみたい!

だけどそのためにはお金がいる。
海外遠征の予定はちょうど1年後、参加するための資金は100万円ほど、さらに準備やトレーニングのために50万円以上は必要だ。
一年間で150万円のお金を稼ぐ必要が有る。

普通に働いていれば大したことは無い金額かもしれないがなんせ僕は無職暦8年、今さら就職をする気も無いので自分で仕事を始める事にした

何とか考え出した仕事は二つ。
クライミングの技術を使った特殊な高所作業、高いところなら誰にも負けない自信がある。さらに開拓生活時代に勉強して取得していた2級建築士の資格が役に立った。
もう一つは、ホームページ制作やコンピューター教育を行うITサポート業。趣味として続けてきたコンピューターだが、ビジネスとして生かすだけのスキルは身に付けてきたつもりだった。

この2足のわらじの仕事を始め、何とか登山の資金を稼ぐ事が出来た。

嬉しい事にパキスタン遠征からの帰国後もリピートの仕事が入り続け、自営業としてやっていく事が出来るようになった。

旅の暮らし

自分の今までの経験が役に立って自営業を立ち上げ仕事を続けたが、また仕事以外にやりたい事が出てきた。
キャンピングカーで全国を廻りながら生活できたら楽しいだろうなと思いついたのだ。

浮かんだアイデアをどうしても実現してしまいたくなるのが、ある種の僕のアイデンティティーなのだろう。
具体的に旅の暮らしの実現を模索し始めた。

旅行として全国を廻るのなら簡単だが、移動しながら仕事をして収入を得続けなくては真の「生活」とは言えない。
でも、今までやってきた仕事は移動生活しながら何処でも出来る種類の仕事ではない。

それなら全国どこでも出来る仕事を作れば良いと考え、その後数年間試行錯誤を続けた。

半ば偶然に、全国各地で現地調達できる職種を思いつき、現在は年間8ヶ月程度はキャンピングカーのバンライフで全国を移動生活している。

残りの期間、おもに夏の期間は、北海道阿寒の森で自然の中で暮らしている。

次のステップ

全国を移動生活していると毎日が新しい出会い、新しい体験で、常に色々な刺激を受けている。
当然やりたい事も一杯浮かんでくる。

そろそろ次のステップとしての新しいプロジェクトの形が具体的になりつつある。
後は実現に向けて試行錯誤を続けるのみ。

失敗する事も沢山有るだろうがそれもまた経験だし、失敗も楽しめるようじゃないと夢には近づけない事はこれまでの経験でよく判っている。

実現できた時、このサイトに新しいメニューが一つ増える事になるだろう。

パキスタン、カラコルムのスンマ・リ峰延性登山
三人のうちの一人が筆者です。
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森の人

Posted by 森の人